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史上最悪の独裁者・アドルフ・ヒトラーの壮絶な生き様に迫る

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そもそもナチスドイツって何?

ナチスドイツとは「国民社会主義ドイツ労働者党」、ドイツ語でNationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの通称です。

元々はミュンヘンで結成されたドイツ労働者党であり、反ユダヤ主義と、労働者および中産階級の救済を目的としてか掛けていた政党でした。

後にヒトラーが入党し、政権を奪取してからはドイツを戦争に導き、第二次世界大戦を引き起こしました。

アドルフ・ヒトラーってどんな人だったの?

ドイツが生んだ狂気の独裁者・アドルフ・ヒトラーの名を知らない人はまず居ないでしょう。

小学生の歴史の教科書でもまず間違いなく登場する歴史的に非常に有名な人物であり、独裁者といえば、ヒトラーと多くの人が思い浮かぶと思います。

この記事では、アドルフ・ヒトラーの生い立ちや、理想、独裁者として対戦中にナチス・ドイツを導いた彼の生き様を紹介したいと思います。

 

 

アドルフ・ヒトラーの経歴・家族関係

1889年4月20日、オーストリアのブラウナウでアロイス・ヒトラーとクララ・ヒトラーの四男として誕生しました。 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3

 

ヒトラーには彼を含めて6人の兄弟がいたましたが、 彼と妹のパウラを除いた他の4人は、成人まで生きることができませんでした。この「早死に」の “血の系譜”に生まれたことに対してヒトラーは恐怖心を持っていたとされ、 生涯彼を苦しめたといわれています。

アドルフ・ヒトラーと父親との関係は?

 ヒトラーの父アロイスは、下級官吏としての不遇な生活に不満を持っており、常に怒りっぽい、不平不満のかたまりとなり、飲んだくれで、妻や子供に対して暴力を振るっていたとされています。

彼の妻クララは貧乏と夫の暴力のためにヒステリーとなってしまったとも言われています。

しかし、実際はアロイスは税関の上級事務官としてその当時の小学校校長よりも高い俸給をもらっており、退職後も勤務時代の本俸をほぼそのまま得ることができていました。

また、リンツ市近郊の町に広大な庭園のついた立派な高級住宅を購入することもできました。

しかし、ヒトラーと父アロイスの親子関係は良好とは言えませんでした。

 アロイスは無学な自分が税関事務官になったことを一番の誇りにしており、息子達も税関事務官にすることを望んでいましたは、ヒトラーはこれに従いませんでした。

父親に無理やり税関事務局へ連れて行ったときのことも、ヒトラーは彼と父親との対立の象徴として描かれています。

また、1900年、中等教育を学ぶ年頃になるとギムナジウム(大学予備課程)で学びたいと主張したヒトラーに対して、アロイスはリンツのレアルシューレ(実科中等学校、Realschule)への入学を強制しました。

彼の自伝『我が闘争』では、ヒトラーは実科学校での授業で怠慢な態度をとり父親へ反抗したことが書かれています。

この父親との対立がヒトラーのドイツ民族主義へと駆り立てた一番の原因であると言われています。

なぜなら、アロイスは生粋のハプスブルク君主国の支持者であり、その崩壊となる過激な大ドイツ主義を毛嫌いしていたからです。

父親への反抗を兼ねて、ヒトラーは統一ドイツへの合流を目指したのかもしれません。

アドルフ・ヒトラーの性格は? 実は劣等感の塊だった?

 芸術家としての挫折

皆さんはヒトラーが実は芸術家志望だったことをご存知でしょうか。

現在まで、彼が描いたとされる数多くの絵画が残っています。

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1907年4月、18歳になったヒトラーは芸術の都、ウィーンへ移住します。 芸術家として生きていくため、彼がウィーン美術アカデミーを受験しますが、不合格になってしまいます。

彼の画風は丹念な描写に情熱を注ぐものの独創性に乏しく、後に絵葉書売りで生計を立てた時も既存作品の模写が多かったようです。

翌年の1908年に再びウィーン芸術アカデミーを受験しましたが、最後不合格になり、芸術家として道を諦め、ヒトラーはウィーンから去りました。

 

上の画像からもわかるように、ヒトラーの絵は風景や物を対象にしたものが多い。しかし、彼は実際に現地に行って描くことはせず、記憶の中にある風景や他の絵画を参考にして描くという独特なスタイルを持っていました。

彼はこの自分の傾向を自負しており、独裁者として君臨している間は自らを不合格にしたアカデミーへの弾圧を強めたとされています。

アドルフ・ヒトラーの思想とは?

 アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ大衆を扇動した政治体制・思想体系を「ナチズム」と呼びます。

ヒトラーは少年時から様々な反ユダヤ主義に影響された「生粋のアーリア人至上主義者」であり、彼がいつそのようなせ思想を抱くようになったのか具体的なことは未だ謎のままですが、国民を厳しく統制し『アーリア人ゲルマン人)至上主義』を前進させました。

アドルフ・ヒトラーの名言集

 その圧倒的なカリスマ性で大戦中にナチス・ドイツを率いたヒトラーですが、ここで彼が残した名言の数々を紹介したいと思います。

 

「大衆の多くは無知で愚かである」

「熱狂する大衆のみが操縦可能である。」

「圧制はただ圧制によってのみ、そしてテロはただテロによってのみ破ることができる」

「人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ。」

「わたしは間違っているが、世間はもっと間違っている

「女は弱い男を支配するよりも、強い男に支配されたがる」

「天才の一瞬の閃きは、凡人の一生に勝る」

「平和は剣によってのみ守られる」 「退路を自ら断つとき、人はより容易に、より果敢に戦う」

「人種堕落の時代において、自国の最善の人種的要素の保護に専心した国家は、いつか地上の支配者となるに違いない」

「賢い勝利者は、可能な限り、自分の要求を幾度も分割して敗北者に課するだろう」

 

アドルフ・ヒトラーの経済的貢献

ユダヤ人大量虐殺など、悪辣な面だけが目立つヒトラーですが、実は数多くの社会的貢献をした人でもあります。

動物保護

現在のドイツの美しい森林の大半は人工的に植えられたものです。

20世紀になると土地の開拓が急速に進み、その影響で森林伐採なども行われ、環境が崩れてきていました。

しかも、彼の凄いところは当時は現在のように環境保護などが大々的に叫ばれていないのにもかかわらず、自然保護・動物保護を率先して進めたことです。

高速道路(アウトバーン)

ドイツのアウトバーンは世界初の無料高速道路網です。

片道2~3車線の高速道路を5年間で3000km、世界最大の失業者救済事業ともいわれ、40万人の雇用効果を生みました。

ヒトラーは戦争が終わり、ヨーロッパ諸国が国境の境なく行き来できるようなインフラを整えるためにアウトバーン建造を進めたようです。

昨今、Brexitなどで大きな話題となりましたが、現在のEUのような未来を夢見ていたのかもしれません。

嫌煙運動

意外に思われるかもしれませんが、ヒトラーはタバコをひどく嫌っていました。そのため大規模な反タバコ運動を開始し、タバコに関する広告への制約、重税、また兵士へのタバコを配給制にするなど、徹底的なタバコ撲滅運動を進めました。

また、タバコが流産の危険を高める、と広めたのもヒトラーの功績だと言われています。

自動車の普及 

フォルクスワーゲンの全体的に丸みを帯びたフォルムを見て何かににしていると気付いた方はいないでしょうか。

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フォルクスワーゲンを直訳すると、「人々の車」となります。

今でこそ大衆に広まりましたが、当時は自動車は富裕層しか所有することができなかった高級品でした。

フォルクスワーゲンは庶民にも自動車を普及させるという考えで、ヒトラーが編み出したアイデアであり、

その際「カブトムシにような丸みをもたせたい」というコンセプトでこのような可愛らしいデザインになったようです。

医療の発展、および普及 

アドルフ・ヒトラーの独裁者として卓越していたカリスマ性とは?

このような一見すると傲慢としか解釈できない彼の演説がなぜ大衆に支持されたのでしょうか。

ヒトラーは演説の中で繰り返しユダヤ人の脅威を訴え、今こそドイツ人が団結して栄光と繁栄を取り戻さなければならないと叫びました。

1929年のアメリカの大恐慌がドイツに波及して、当時のドイツは600万人の失業者が街にあふれるようになると、人々の心から余裕がなくなり、今の自分たちの困窮から脱するため何かにすがりたくなっていったのではないでしょうか。

今の私たち、特に日本人からすればなかなか想像が難しいと思います。

今の政治家たちがこのような発言をしようものなら、すぐに大衆からの支持は急落し、政治生命を追われることになることは必須でしょう。

このことからも、当時のドイツ市民はそれほど追い詰められていたことがわかります。

この大衆心理を把握し、支配できたことがヒトラーの最も大きな強みではなかったのではないでしょうか。

ヒトラーの子孫って? 

ヒトラーに子孫がいるのか、今でも生存しているのかについては謎に包まれています。

しかし、ヒトラーは自ら命を絶つ前に一人の女性と結婚していることは事実です。

その女性との子供がいたのかは不明ですが、彼が子供を残さなかったのは彼自身がパーキンソン病を発症しており、この病気のせいで自分の子供を苦しめてしまうのではないか、と恐れたからだ、と一説では言われ、

また、そもそも彼自身が女性との性生活に無関心だったから、とも言われています。